日本における教育においてよく聞かれるセリフがあります
「ワガママを言ってはいけません!」
こういった教育がもたらす弊害について考えてみます
ガマンは世渡りのための最低保証
個人の願望がそのまま日本社会で通ることはないですし、もし通ってしまったら、無法地帯となるでしょう
「しつけ」でワガママを禁止する ことは、社会の安定化と本人の処世術として機能することは確かです
ただし、ガマンをずっと続けていると自分は本来何をやりたいのか、望んでいるのか、わからなくなるということはないでしょうか?
人間の意識は氷山の一角にすぎず、無意識の部分は実はかなり多いといわれています
「ワガママ」がこの無意識からやってくる欲求によると考えれば、それをガマンして、抑圧し続けると人としての活力が失われても不思議はありません
ワガママは無意識のメッセージボトル
「ワガママだ!」とすぐに抑えようとするのをいったんやめて、そのワガママから自分が本当に望んでいることに気づくことも必要ではないでしょうか
もちろんその願望がそのままかなうことがないとしても、その願望に気づいて尊重することは大事と ひねくれ者 は考えます
なぜならワガママは社会通念に左右されず、理詰めでは導き出せない 無意識から流れて来るメッセージボトル のようなものだからです